昭和50年02月28日 朝の御理解



 御理解 第72節
 「人間を軽う見な軽う見たらおかげはなし。」
 
 人間の幸福ということ、それは願わない者は先ずありません。人間が本当に幸福になると言う事を思い、しかも念願するのです。それでただ自分がじぶんが幸福になればと言う様な考え方では幸福になれない。そう言う幸福になれない悪いじょうけんのまあ一つとしてです、人を軽うみなと言うその、人を軽う見る人は幸福になれない、これはもうあのう本当にそうです。
 昨日は親先生の二十日祭でしたから。私と家からも斉員を一人言われとりましたから、若先生が一寸体が寒い、光昭も風邪ひいて熱発して寝込んで居ると言うギリギリの時間になる、どうするかと言いよる所へ丁度幹三郎が帰って来た。今自動車学校へ行っとります。そして本当に助け船でしたけども、まあ親子で参りました。本当に私は有難いと思いますのは、親先生が亡くなられてから、告別式そして十日祭二十日祭と、こうもうその間に親教会自体においては尚更でしょうけれども。
 合楽教会にさしさわりがあった事が一片もない事です。私があの時は八日から丁度告別式の五日間、毎日あちらに通いましたし、それからこっちの事を思うても同時に天候の事です、もう本当にさしさわりがなかった。是がお徳の現れだろうと思う位でした。昨日も御承知の様に、あんなに私共参る時にお湿りがあっとりましたが、ちょうど斉主の先生が西原教会の田中先生でしたから、何かお祝詞書かれるのが遅くなられて、一時間半ばかり遅くなられました。
 私共はもうギリギリ滑り込みと思うて行ったのですけれども、まあおかげを頂いてかえって一時間半余りあすこで待たせて頂いたんですけども、そのおかげで、あのうお祭りが済みましてから墓前祭をする時には、もうお湿りが全然あっとりませんでしたから、もう今にも落ちそうでしたけれども、おしょうぞく付けて先生方はあちらへ、外へ出られなければなりませんからね。
 もう本当におかげ頂いたと言うて、まあ喜び合った事でしたけれどもね、もう本当にあのー天候の上にも万事万端の上に、御用させて頂く者の一人一人の上までそう言うお働き頂いとると言う事を、本当に有難いと思わせて頂いておる。済んでからご直会の時に斉主である田中先生が話しておられましたが、私の父が大坪先生今生きておったら、大坪先生のファンになっとっただろうと思います。父が在ったら話が合いなさるもう私が共の父がしよった様な話をする者がなくなりましたからと言う事を言われた。
 田中倉太さんと言うて大体が楽人さんであった、楽員さんです。それは有名な御信心の手篤い方でしたが、今の親先生今のあのう奥様が小倉の初代の桂先生所のお総代をなさっておられた娘さんに当たる。有名なあのう茶碗問屋さんでそして財産を打ち振るってしまわれた、そいて最後には桂先生が下関に言って相場せろ、米相場をせろと言われてもう親戚からまでも金を借り集めて相場をなさった。一週間泊まり込みでなさって、スッカラカンに取られてしまわれたと言う有名な話があります。
 そしてギリギリの所を、おかげを頂かれた訳ですけれども、その方の関係の関係と言うか娘さん、それが今の西原教会の親先生、ですからそう言うそのう特にそのう久留米の初代の信心に付いて居られましたから、大変もうとに角久留米の大祭その時分は芸子さんの置屋をしとられました。先生方が大祭の買い物に出ますそうするとあそこに寄ると必ず通帳を出される、ね、まぁその当時は丸万マーケットなんかがある大きな市場が御座いました。その通いを出されるからその通いでもう一切の買い物を整える。
 幾ら掛かるやら解らないそのお供えものでも田中倉太さん所の通帳で買われた。勿論それだけの事のお供えをなさったと言う様な事のお話が今にも残って居る様な、大変熱心なお方でした。自分は御夫婦で楽の名手、伊万里の田中先生かシチリキの横笛の名手で通っとられます。そう言う風にその言うておられましたが、何回かしか私は田中倉太さんとは合った事がない。此処の椛目の人が助かり出したのと前後して、あちらの教会が出来たんです、教会を持たれたんです。
 とうとう本当の教職は頂かれんなりに、今の久富先生の様に補教で奥さんが教師の資格を取られて、そして亡くなられました。その時分にも何回も私お会いして、もうそれこそ桂先生のまぁ言うなら小倉教会の裏話しと言うか、お伝記なんか全然載ってない、是は大坪さんあなただけにしか話さんと言った様な話しも聞かして頂いたのも、その田中さんからでした。そんな事を薄々聞いたり。
 知っておられたんでしょう。内の父が居ったら大坪先生、あなたの話合手になれるだろうと思いますと言う様な話からでしたけれども。確かにあのう人を大変丁重に扱ったと言う事、そしてそれから、それと反対の話をなさいました。と言うのはもう二十年前に、九州の典楽の事に付いて教務所にそのー典楽の費用を少し見て呉れと言う事を福岡の若先生のもう次の弟んと二人で小倉にお出られた。
 当時にある○○と言う有名な先生が教務所長をしとられました、その時に散々その当時の教務所長の○○先生から、やり込められた。あんた達はねそのう十年先の事を見通しは出来んのかと、もう丁度テープレコーダーの流行り立った時だそうですが、もう是からの金光教の典楽は、そのテープレコーダーで間に合うんだと、それにどうしてそんなに金を掛けるかと、大変怒られて、福岡の先生二人でもう席を蹴って立つ様な思いで、帰らせて頂いたんですけども、それからもう二十四、五年経ちますと。
 所がねその教会からその楽の御依頼がありました。全然手続きも違うんですそこの記念祭に是非あなたの笛技を入れて頂きたいと言う話があったと、その時にその自分が思うたと。二十数年前にあぁ言う事を言うとられた先生が、今に矢張り本当な物は本当の物として残ると。言うならば金光教のこの典楽殊にこの吉備楽と言う物は、非常にその雅楽とまた違った素晴らしさを持って居るのだからこの良いものは残るんだと。
 そして二十何年後に、その散々にやり込めなさった先生が、私に辞を低うして是非、笛をあんたの笛を入れて呉れんかと言うて御依頼が会った時に、まあ言うならばその仇討ちが出来たと言う様な感じでした、と言う様な意味の事を昨日話されました。そして御大祭が済んで御直会の時に、もうその先生と言うのはまだ若い、大したまだ年でもないですけれども、体が全然動かれない。
 それを皆んなにこうやって抱えられながら、田中先生の前に出て来られてから、本当に今日は結構な久し振りにあヽ言う典楽、あヽ言う楽を聞かせて頂いたと言うて、もう涙を流してお礼を言われたそうです。そして人を本当に軽う見てはならない、軽う見る者の末路と言う物をです思うと言う様な話をなさいました。御直会を頂き頂き。今日はたまたま此の七十二節を頂きましたから、私は思うんですけれどね、人を軽う見な軽う見たらおかげはなし、とこう断言しとられます。
 おかげはなしと言うだけではありません、もうその軽う見た人の末路と言う物が、実に哀れだと言う事を、私は横で聞かせて頂きながら、誰れ彼の事をずうっと思うて見たらですね、確かに軽う見た人の末路はもう本当に哀れです。人間が幸福を願わない者はありません。そのなら幸福の条件の中にですね、軽う見ればもうだから幸福になれないと言う事が言えるんです。なら軽う見らずそれを丁重に、例えば頂ける内容と言うものを頂いたら、なら幸福になれる事もまた言えれる訳です。
 昨日はそげな風で、一時間半も時間がありましたもんですら、久し振りで岸先生と色々話さして頂いた。あちらの御造営の事やら何やら、もうそれこそ今まで私は聞かせて貰えなかった内輪話しの事を、今度すっかり話して聞かして頂いて、是はもうどうでもこうでも一つもう、先生私どんが結局まあー言うなら親先生の息の懸かっとる私達が、まあ何人か残っとるから、その何人か残っとる私達が、これはどうでもこうでも、是は充実しとかにゃいかんよと言うてもう、話した事で御座いましたけれども、
 私はその今日又改めて思うんですけれども、なら岸先生とか淵上先生なんかの、それは私の事はもう本当にまるきり仇の様に馬鹿の様に、それこそ程度が低い者の様に言われたり扱われたりして来ましたけども、私は決して皆さんも御承知の通りに私は決して淵上先生の事でも岸先生の事でも、もう何時も褒め契ってお話しをするでしょうがね、もう岸先生なんか私だん随分本当に馬鹿んごとした扱われた事があるです。
 五十年の記念祭の時なんか、後からの明くる日の膳座に呼ばれたから時に呼ばれたから行きましたが。後ろからもう何ちゅう言うですか、もう三味線入れて御祝儀の様な賑わいでした。その時私が羽織を脱いでからですね、一寸そこに置きましたら、私が羽織をこうやって丸めちからお賽銭凾の中にこうやってから、もうはがゆうて堪えんち言うごたる風でから、投げ込んだですよ岸先生が。
 それでもなら此の人の良い所を私は知っとりますからね。あのうもう兎に角この人の右に出る者んなおるまいと言う所を、私は何時も見とりますから、岸先生の素晴らしい事も、なら淵上先生の素晴らしい事も。なら結局は段々私が居らなきゃ何も出来ないと言った様な事もね。告別式の事から、又今度の御造営の事から、兎に角言うならば現在の合楽がなからなければ、又本当に実際はでけません。又すぐその出来る事をそのう自慢にも思わないし、もう当然の事としてさせて頂こうと思います。
 それがあのうそげな話も色々まあそれこそ内輪話でしたけれど、ね。岸先生が総代さん達十人にね、百万円宛出せと言うそうですね。それも只出すだけで、それは返すと言う訳です。そしたらあちらの総代さん方が言う事がですね、何時頃までに返して貰うか、金利は幾らにして貰うかと言うそうです。そしてその中に兎に角今の広前では広過ぎるけん、小じんまりと建ちょうと言うのが半分だ相です。
 私はそれを聞いてからがっかりしました。だかもう先生そげな風に、そげんたぁもう当てにするまいやち、それで一つまぁあのう私がおかげ一つ頑張らして頂こう言うて、話した事でしたけどね。だからもう兎に角今度の御造営に付いちゃ、まぁ合楽、あのう三井教会自体としてはもうお話にならないんだと言う訳です、結局まあ言うならば大坪さん、あんたが一人頑張って貰わにゃ出来んと、まあ言われはしませんけども、そんな風にこちらは受けたんです。
 又受けたからと言うて、その気になってる訳ではありません。もう初めからその気でこちらはおるのですから。もう来年に記念祭を控えておるのに、それこそもう何んのその手立ても成されておらないと言う事に付いて、色々聞かせて頂いた、まぁ余談になりましたけれども。その岸先生とか淵上先生の場合でもです、それこそ私の真向から悪口を言うたり、言うならば軽う見られて来ましたけれども。
 私は一っつも軽う見なかったと言う事です。そりゃとても、此の人達の右に出るもんな居らない又そして、あのう良い所を又実際良いと思うとります。だから問題はこちらの内容が段々ね、出来て来れば出来て来る程、なら人もそう言う風に見えて来るのぢゃないかとこう思います。ね。軽う見たらおかげはなしね、軽う見た人の末路は実に哀れだと。その田中先生のその当時の教会の所長先生ですけども、当時の椛目で私共もこてんこてんにやられたんです、先生なんです。
 記念祭の時に言うなら此処の幹部の方達と御挨拶に出ました。けどその時はもう本当に打って変わった様に丁重にして頂きましたけれどもね。本当に何年か前は、あんなに軽う見て後からはちっとこちらがおかげ頂き出したから丁重に扱われると言う事は、妙なもんですよね。けれどもあれが本当に五年前、言うならば私共が困っていた時分に、親身な例えば風に言われておったとするならば、言うなら五年後に丁重に扱われる事が有難いんでしょうけれどもね。
 だから結局その形とかなりとか、その時の状況状態で人を軽う見ると言った様な事ではならない。どう言う中にあっても、なら私と岸先生の場合だけでもそうですけども、どう言う言うならこおう反目しあっておる状態の中に在っても、相手の素晴らしさと言うのは、ちゃぁんとあのう見てそこの所は丁重に思う、考えれる様な生き方こそが、人を軽う見らない行き方だと思うです。
 軽う見たらおかげはなし、だからならそれを重く見ろうと言うて、形の上だけではいけません、真から心からです。所謂神の氏子としての対人間関係の場合でもです、その調子で乗れる内容を頂かして貰わなければいけない。皆んなが幸福になりたい、なのにもし貴方が人を軽う見ておられるならば、貴方はそれだけでも幸福にはなれない。いやむしろ末路は哀れだと一つ思うて、改めて自分自身をね。
 掘り下げて自分自身の浅はかな所を気付かせて頂いて、自分の周囲誰もがそれを丁重に見れる稽古も矢張り信心の稽古だ思います。軽う見たらおかげはなしと仰せられるのですから、ね。軽う見る所かその人の素晴らしいさと言うものを、本当に認めれれるおかげを頂きたい。しかも人を軽う見ると言った様な人は、末路が哀れだとね思うただけでもゾッとします。本当にそうである。
 そんなら自分自身がどんなに今手厚い信心しとってもです。どんなに今幸福そうにしておってもです、はあ自分はこんなに人を軽蔑する様な心がある、是は自分の末路も是は哀れな事になるぞと気付かせて頂いてです、愈々人を軽う見るのではない、是は人だけではありません、物でも所謂尊重して頂く丁重に頂く。そして人間を軽る見る事でない様な信心を、日常生活の中に頂き止めて行きたいと思うです。
   どうぞ。